-
黒髮神社について
-
御祭神
闇淤加美 ( 日本書紀では闇龗 ) 神 ( くらおかみの神 )=「黒髪神社原初の神」
伊奘冉尊 ( いざなみのみこと )
速玉男命 ( はやたまのをのみこと )
事解男命 ( ことさかのをのみこと )
〈上宮摂社〉白山神社 ( 伊奘諾尊 )
〈下宮相殿〉菅原道真公命・今山鎮守神
〈末社〉多賀宮 諸龍宮 聖徳社 天照大神宮 金比羅宮 等 -
信仰
祖神(おやがみ)様としての信仰篤く、
五穀豊穣・雨乞ひ・病気平癒・商売繁昌・交通安全・学業成就・諸災消除・諸願成就
の神様として崇敬されてゐます。 -
由緒
黒髮神社は、崇神天皇16年に朝廷の勅願社として黒髮山を卜(ぼく)して鎮座されたと伝へられる、肥前最古の由緒をもつお社です。
クロカミの名称は元来、岩上に鎮まる神の座(くら)、あるいは龍神であるクラオカミ神に由来する古語と考へられてゐます。頂上の天童岩(てんどういは)には、原初の信仰形態である磐座信仰の姿が伝へられ、また太陽穀霊崇拝にちなむ天童信仰がみられるところからも、歴史的古さが窺はれます。平安末期の史料、「武雄神社文書(国重要文化財)」には、当社は「朝廷ノ御祈祷所」で「杵島郡第一ノ霊社」とみえます。鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると、神仏習合の様相が強まり、やがて「黒髮大権現」の称号で呼ばれるやうになります。
御祭神の伊奘冉尊・速玉男命・事解男命、その本地仏とされる薬師如来・阿弥陀如来・千手観音は、熊野修験にかかはるもので、当社はこの地方での拠点となり末社・掛社は杵島郡・松浦郡を中心に50社に及んでゐました。戦国期には、諸武将が誓願の起請文として用ひた「牛王宝印」守札を発行してをり、上宮・中宮・下宮の三所からなる規模とともに、社格の高さをあらはしてゐます。戦国から江戸期には、真言宗の勢力が強まり西光密寺、大智院との習合関係が進みます。当時の祭礼日は「士民(しみん)群集シテ市(いち)ヲナス」賑ひであつたと古記にあります。
秋のお供日に奉納される流鏑馬は、永万元年(久寿元年の伝へもあり)、源為朝が大蛇退治のをり、宮司黒髮掃部介和敏に請ふて神明の冥助を祈り、為に一七日の蟇目(ひきめ)を執行し速やかに退治することを得たので、願成就として当社下宮に於て旧暦9月29日(現10月29日)奉納したのが始まりで、現在まで八百五十有余年続く伝統神事となつてゐます。
-