大蛇退治伝説

大蛇退治伝説

 永万元年(1165、ほかに久寿元年など複数の説あり)、有田郷白川の池に大蛇が棲みついた。七俣の角を持ち、黒雲に乗って黒髪山に飛行し、火を吐くこの大蛇のため、命を失ふものも出 た。里人は稲を刈ることもできず、領主の後藤高宗に大蛇退治を懇願した。しかし高宗が手勢 を引き連れ向ふと大蛇は姿をくらまし、退治できない。高宗が朝廷に相談すると、鎮西八郎為朝 と協力するやう勅命が下った。為朝や家来一同大勢で策を練ってゐると、誰とも知れぬ者が 美女を囮に大蛇を誘き寄せるが良からうと申し出、姿を消した。これは黒髪の神の啓示と喜ん だ一同は囮の生贄となる美女を求め、恩賞は望みどほりと高札を出した。西川登の高瀬に 万寿姫といふ16歳の娘がゐた。父松尾弾正を亡くし、母と弟の小太郎を苦労して養ってゐた 万寿姫は、この高札を見、お家再興のためと自ら生贄となることを申し出た。そして白川の池 には高さ10メートルもの水棚が造られ、万寿姫がその上に座した。間もなく腥い風が吹き、 大蛇が姿を現した。領主高宗が三人張りの弓に十三束の矢を番へ放つと、見事大蛇の眉間を 捉へ、血煙が舞った。 しかしこれで大蛇は火の如く怒り、万寿姫をひと呑みにせんと立ち上がった。ここで続いて、 八郎為朝が八人張りの重藤の弓に十五束八寸口の矢を番へ、放った。この矢が大蛇の右眼を 貫き、怯んだところを将兵が一斉に雨霰と射たてた。この猛攻撃にさしもの大蛇も遂に逃げ出 すことになった。さらに高宗らが追ひ立てると、竜門へと逃げる大蛇は谷底へ落ちていった。 ところで梅野村に行慈坊(海正坊とも)といふ座頭がをり、ちゃうどこの時竜門の谷を通りかか ってゐた。にはかに岩頭から転がり落ちて来た大蛇に海正坊は驚いたが、懐剣を引き抜き、ここ が急所の喉であらうと突き立てた。これがとどめとなり、大蛇は息たえた。大蛇退治祈願の願成 就にと黒髪神社で流鏑馬の奉納がなされ、今に続いてゐる。

(『武雄市史』下巻)に加筆修正。